横浜家庭裁判所小田原支部 昭和55年(家)106号 審判 1980年12月26日
申立人 上田吉郎
被相続人 上田平三郎
主文
本件申立を却下する。
理由
(申立の趣旨)
「被相続人の相続財産である神奈川県足柄上郡○○町○○○○○○××××番地宅地八四二、九七平方メートルを申立人に与える。」旨の審判を求める。
(申立の理由)
1 被相続人は、上田平吉とその妻である上田ハルとの間の二男として大正七年一一月八日出生し、大正九年一〇月二九日前戸主である父上田平吉の死亡により家督相続をしたが、大正一二年九月二五日死亡し、相続人のあることが明らかでなかつたので、昭和五三年一〇月五日田川秋夫が相続財産管理人に選任され、民法第九三七条の相続債権者・受遺者への請求申出の催告を経て民法九五八条の相続権主張の催告をし、昭和五四年一一月三〇日の経過によりその催告期間が満了したが、なお相続人のあることが明らかでない。
2 被相続人の遺産としては、「申立の趣旨」記載の土地(以下「本件土地」という。)がある。
3 申立人は、被相続人の叔母(父の妹)君野ミツとその夫君野作一との間の二男上田春夫を父とし、被相続人の伯父(母の兄)藤沢信一とその妻藤沢アサとの間の三女上田清美を母とし、右両名間の長男として昭和二八年七月一六日出生した者であるが、祖父君野作一は、被相続人の父上田平吉の死後被相続人の事実上の後見人であつた者で、被相続人の死後は本件土地を管理するとともに被相続人及びその祖先の祭祀を主宰してきたのであり、昭和二二年頃からは父上田春夫が本件土地に居住してそれらの業務を引き継ぎ、申立人も出生以来本件土地に居住し、春夫が昭和五二年四月一二日死亡した後は申立人が上記業務を引き継いできたものである。
4 よつて、申立人は、被相続人の特別縁故者にあたるから、「申立の趣旨」記載の審判を求める。
(当裁判所の判断)
1 本件記録中の戸籍謄本五通、改製原戸籍謄本二通、除籍謄本四通及び家庭裁判所調査官〇○○○の調査報告書二通並びに当庁昭和五三年(家)第一〇一二号相続財産管理人選任審判事件記録中の戸籍謄本二通、除籍謄本三通、上田吉郎の住民票写、登記簿謄本及び家庭裁判所調査官○○○○○の調査報告書に申立人、参考人田川秋夫、同上田清美各審問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。
(一) 被相続人は、上田平吉とその妻である上田ハルとの間の二男として大正七年一一月八日出生したが、大正八年九月四日兄上田与平次(平吉夫婦の長男)が、大正九年三月七日母上田ハルが相次いで死亡した後、同年一〇月二九日前戸主である父上田平吉の死亡により家督相続をしたが、幼少であつたので、被相続人の母の兄である藤沢信一が被相続人を引き取つて養育するとともに、親族その他の縁故者の協議により、被相続人の父の妹君野ミツの夫である君野作一が事実上の後見人、数代前から被相続人一家と親族同様の交際関係にある上田二三夫が事実上の後見監督人として被相続人の財産の管理にあたつていたが、被相続人は、大正一二年九月二五日満四歳で死亡し、その後相続人のあることが明らかでないまま数十年を経過し、昭和五三年九月一二日上田吉郎(本件申立人)の申立により同年一〇月五日田川秋夫が相続財産管理人に選任され、民法第九五七条の相続債権者・受遺者への請求、申出の催告を経て民法第九五八条の相続権主張の催告をし、昭和五四年一一月三〇日の経過によりその催告期間が満了したが、なお相続人のあることが明らかでない。
(二) 被相続人の遺産としては、本件土地がある。(被相続人に他に遺産があるかどうかは、明らかでない)
(三) 申立人の父上田春夫(もと君野春夫)は、被相続人の父の妹君野ミツとその夫君野作一との間の二男として大正一一年二月二四日出生した者、申立人の母上田清美(もと藤沢清美)は、被相続人の母の兄藤沢信一とその妻藤沢アサとの間の三女として大正一五年二月二〇日出生した者であつて、春夫は、昭和二二年頃田辺三代子と内縁関係を結び、昭和二四年五月二〇日婚姻したが、まもなく離婚し、同年一二月二七日上田芳一(上田二三夫の長男)とその妻クニエとの養子となつた上、翌二八日清美と婚姻したものであり、申立人は、右春夫と清美との間の長男として昭和二八年七月一六日出生した者である。なお、藤沢信一は、昭和三二年四月一〇日、君野作一は、昭和五三年四月九日、上田春夫は、昭和五二年四月一二日死亡したが、いずれも、被相続人の特別縁故者としての財産分与の請求はしなかつた。
(四) 本件土地は、もと被相続人の父上田平吉の所有であり、大正九年一〇月二九日平吉の死亡による家督相続により被相続人の所有となつたものであつて、平吉の生前は平吉が被相続人とともに本件土地上の家屋に居住していたのであるが、前記のとおり平吉の死亡により被相続人は藤沢信一に引き取られ君野作一及び上田二三夫がそれぞれ被相続人の事実上の後見人、事実上の後見監督人として本件土地の事実上の管理にあたつていたところ、大正一二年九月二五日被相続人が死亡し、その後も君野作一が本件土地を事実上管理し、大正末年頃、本件土地上の家屋をとりこわし、その跡地を畑として利用していたが、昭和二二年頃、作一の二男である上記君野春夫(養子縁組後上田春夫)が本件土地上に自己所有の家屋を建築し、それ以来右家屋に居住して本件土地を事実上管理し、申立人も出生以来右家屋に居住し、春夫が昭和五二年四月一二日死亡した後は申立人が本件土地を事実上管理しており、田川秋夫(君野作一の三男)が相続財産管理人に選任された後も本件土地の事実上の管理を継続している。
(五) 被相続人の死後上記君野作一が被相続人及びその祖先の祭祀を主宰してきたが、昭和二二年頃から作一の二男である上記君野春夫(養子縁組後上田春夫)が右業務を引き継ぎ、ことに昭和四〇年代には被相続人の五〇回忌の法事を行い、昭和五二年四月一二日に春夫が死亡した後は申立人がその業務を引き継ぎ、ことに昭和五三年には神奈川県足柄下郡○○町○○○の○○院内墓地に上田平吉、上田ハル及び被相続人の名を刻した石塔を建立した。(もつとも、参考人上田清美は、審問の際、春夫死後は清美が被相続人の祭祀をしている旨陳述しているが、同人の審問の際の陳述の全趣旨及び申立人田川秋夫各審問の結果と対比すると、清美の上記陳述は清美が申立人の補助者として被相続人の祭祀をしている趣旨に解せられる。)
2 ところで、民法第九五八条の三は、相続人不存在の場合には「被相続人と生計を同じくしていた者、被相続人の療養看護に努めた者その他被相続人と特別の縁故があつた者」に対し相続財産を与えることができる旨定めているが、右制度は、昭和三七年法律第四〇号により新設されたものであつて、その立法趣旨は、主として遺言制度が充分活用されていない実情に鑑み遺言制度を補充しようとするものであり、右条項に例示されている場合のように本来であれば遺言により財産の分与がなされたであろうと思われるような特別の縁故があつた者に対し遺言によらないで財産を分与する途を開いたものと解せられるところ、右立法趣旨から考えても、また右条項が「縁故があつた者」という文言を用いていることから考えても、右条項にいう「被相続人と特別の縁故があつた者」とは、被相続人の生前に被相続人と縁故があつた者に限るものと解すべきであつて、被相続人の死後に相続財産を事実上管理したり被相続人の祭祀をしたりした者を含むものではないと解するのが相当である。また、上記立法趣旨と右条項の文言から考えると、右特別縁故者に対する財産分与の制度においては、特別縁故者にあたると主張する者の請求に基づき家庭裁判所が財産分与の審判をすることによりはじめてその者の具体的権利が発生するものと解すべきであつて、たとえ、客観的には特別縁故者にあたると認められる者であつても、その者が財産分与の請求をしないで死亡したときは、相続人その他の者がその分与請求についての権利を承継することはできないと解するのが相当である。
3 本件の場合、上記認定事実によると、申立人は、被相続人の父の妹君野ミツとその夫君野作一との間の二男である上田春夫と被相続人の母の兄藤沢信一の三女である上田清美との間に出生した子であるとはいえ、被相続人の死亡後約三〇年を経過した後に出生した者であつて、被相続人の生前に被相続人と縁故があつたものということはできないから、民法第九五八条の三にいう「被相続人と特別の縁故があつた者」にはあたらないものというべきである。また、前記各資料によると、申立人の父方祖父君野作一及び申立人の母方祖父藤沢信一は、客観的には被相続人の特別縁故者にあたる蓋然性があり、一方申立人の父上田春夫は、客観的にも被相続人の特別縁故者にあたる蓋然性は乏しいが、かりに同人らが客観的に被相続人の特別縁故者にあたるとしても、同人らは財産分与の請求をしないで死亡したものであるから、申立人がその分与請求についての権利を承継することはできないものというべきである。
4 よつて、本件申立は、理由がないから、これを却下することとし、主文のとおり審判する。
(山本一郎)